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東京高等裁判所 昭和60年(行ス)14号 決定

主文

一  本件抗告をいずれも棄却する。

二  抗告費用は抗告人らの負担とする。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は、別紙一記載のとおりであり、これに対する相手方の答弁及び主張は、別紙二記載のとおりである。

二  当裁判所も、本件申立中、本件廃校処分の効力の停止を求める部分は不適法であり、また、本件就学指定校変更処分の効力の停止を求める部分は理由がない、と判断するものであって、その理由は、原決定一枚目裏末行の「伊米崎」を「伊米ヶ崎」と、二枚目表一二行目の「同年」を「昭和二五年」と、七枚目表一行目の「申立人ら」を「干溝小学校に就学する児童(ただし、六年生を除く。)の保護者」と、同二行目の「申立人らの」を「その」と、同八行目の「通学」を「就学」と、同末行目及び同裏三行目の各「子女」、一〇枚目裏三行目の「児童ら」、同五行目及び一一行目の各「児童」並びに七行目の「その児童ら」をいずれも「本件児童」と、一一枚目表八行目から九行目にかけての「大方山」を「大力山」とそれぞれ訂正し、七枚目表九行目の「子供ら」を「児童ら」と訂正し、その次に「(以下「本件児童」という。)」を挿入し、同二行目の「本件」を削除し、同裏九行目の「処分」の次に、「(以下「本件就学指定校変更処分」という。)」を挿入し、一〇枚目表一〇行目の「まず、」の次に「本件児童のうち六年生である大平武弘、樋口陽子、富永知弘、五十嵐直樹及び星亮介の五名については就学指定校変更処分が存在しないから、その執行を停止するに由なく、右五名に対する就学指定校変更処分の執行停止申立はこの点において既に理由がないものというべきである。そこで、その余の本件児童(以下、「本件児童」は上記五名を除いた児童を指称する。)について」をそれぞれ附加し、二〇枚目裏一行目から二一枚目裏一〇行目までを次のとおり改めるほか、原決定理由説示のとおりであるから、これを引用する。

「3 本件における干溝小学校の廃止及び抗告人らに対する就学指定校変更の通知という一連の措置により、本件児童は、小出小学校に通学して教育を受けるべきことになるわけであるから、抗告人らがこれによって回復の困難な損害を被るかどうかは、その子供たちが、本案判決確定までの間小出小学校において教育を受けた場合に、干溝小学校において教育を受けていた場合に比べて不利益を被ることになるかどうか、そしてそれが回復困難なほどの損害といえるものであるかという観点から検討すべきものであり、単に、干溝小学校において教育を受ける機会を失うことそれ自体による損害のみについて、回復困難かどうかを考えるべきものではない。すなわち、干溝小学校における教育内容が、小出小学校における教育内容によって代替され又は補完され得ないものであるのかどうか、仮に代替、補完し得ない部分があるとして、それが教育上本質的なものであって、本案判決確定までの間それを欠くことが小学校の児童に対する教育を全うしたものといえないほどのものであるのかどうか、という点が検討されなければならない。

そこで、このような観点から、以下、干溝小学校における教育条件と小出小学校におけるそれとを比較することとする。

(一)  教育課程についてみると、小学校における教育課程は学習指導要領によるものとされ(学校教育法施行規則二五条)、教材は原則として文部大臣の検定を経た教科用図書を使用することとされており(学校教育法二一条)、また、公立の小学校における教育課程(カリキュラム)の編成、教科書その他の教材の採択等は、教育委員会の管理、執行の下に行われるものであるから(地方教育行政の組織及び運営に関する法律二三条)、同一の教育委員会の下にある干溝小学校と小出小学校とは、教育課程、教材ともに概ね同一であって、基本的な教育内容は均質性が保たれているということができる。すなわち、本件児童は、小出小学校において、干溝小学校におけると同等の内容の教育を受けることができる建前となっており、現実にも、その受ける基本的な教育内容は、少なくとも低下することはなく、教科によっては、物的施設等が充実していることからして、より高度の内容の教育を受けることが可能であると推測される。

(二)  学校の校舎その他の物的施設それ自体は、小出小学校の方が優れていること(抗告人らは、物的条件の比較判断の基準として、基本的には、児童一人当たりの数量を採用すべき旨主張するが、比較は全体的に考察されるべきものであって、一人当たりの数量で判断されるべきものでないことは、干溝小学校の児童数が半減し、一人当たりの数量が倍増すれば、教育条件が改善されるといったものでないところからして、疑いを容れない。)が明らかであり、また、教職員の多いことも相まって、課外活動を含めた教育内容が多彩であるという点において、小出小学校の方が優れているということができる。

(三)  通学条件についてみると、小出小学校は、前記のように干溝地区から遠距離に存在するため、身心の成育の十分でない本件児童が通学上種々の不便を被り、殊に冬季の積雪期には困難を強いられることは、想像に難くない。

しかし、この点は通学用バスの運行によって解決が図られていることは、さきに見たとおりであり、それでもなお抗告人ら主張のような問題を残すものとはいえ、このことをもって回復の困難な損害に当たるということはできない。

(四)  本件においては、教育の、いわば質的な面が問題とされているので、この点について検討する。

(1)  干溝小学校は、児童数のきわめて少ない、いわゆる小規模校であり、かつ、一つの集落のみを構成基盤としていることから、従来、その特徴を生かし、児童一人一人に対しきめ細かな指導を行うとともに、父母たちの協力を得て地域社会に密着した教育を行ってきたことは、さきに見たとおりである。

小学校教育は、現在種々の問題を抱えており、生活環境の都市化、学校の大規模化等の傾向もその原因の一部を成すものと考えられることからすると、干溝小学校における教育について、現在における小学校教育の在り方の一つの理想を示すものであるとの評価を与えることも、立場によっては可能であろうと考えられる。したがって、本件児童が小出小学校に通学することを余儀なくされる場合には、右のような干溝小学校の教育における優れた面を享受し得なくなるおそれがあるということができる。

(2)  しかしながら、小規模校には、複式学級の採用の必要等、児童数が少ないことによる問題があることは、いうまでもない。抗告人らは、複式学級の長所を強調するが、客観的にみる限り、公教育の場においては、児童を学年別に分け、段階的に一定の教育課程に従った教育指導を行うのが本則であるというべきであり(公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律三条一項参照)、複式学級についてそれなりの特色ないし教育効果を肯定し、教育的観点から一定の価値を見出すことは可能であるとしても、少なくとも、複式学級の方が学年別の学級編制より優れていると断定することは、とうていできないことである。現に、疎明によれば、干溝小学校に就学させていた保護者のなかにも、右のような点から、教育効果が上らないことを懸念して、小出小学校への統合に積極的に賛成していた者もいたことが認められるところである。

他方、前記のような一部地域における都市化及び学校の大規模化等の状況は、わが国の政治的、経済的あるいは文化的動向等と相まって、時代の趨勢であるともいい得るのであって、このような状況を所与の前提として現に行われている教育内容を、特殊な状況下における小規模校の教育内容と単純に比較して、その優劣を論ずるのは、必ずしも当を得たものとはいい難い。

いわんや、干溝小学校の教育における前記のような優れた面をあまりに強調して、これを絶対的なものと評価し、はるかに多数の児童が現に受けている小出小学校の教育を、単に、規模が大きく、きめ細かな指導に欠ける面があり、地域社会に密着したものではない等の理由により、劣るものとし、干溝小学校の教育に代替し得ないもの又はこれを補完し得ないものとするのは、相当でないといわなければならない。

なお、干溝小学校を小出小学校に統合し、干溝地区の児童が加わった場合でも、小出小学校の学級数及び児童数は前記のとおりであり、その規模が大きくなるとはいっても、概ね標準的なものといって差支えない。

(3)  学校教育、とりわけ小学校における教育は、単に教科の履修に止まらず、学習と生活の場における児童と教師及び友人、父母兄弟等との人間的接触、児童とそれを囲む生活環境との触合い等も重要な要素を成し、これらが一日一日積み重なって、六年間を通じて大きな成果を生むことが期待されるという面があることは、否定できない。したがって、児童が、居住地域まで変って相当の期間、従前通っていた小学校において教育を受けることができないこととなった場合には、それを回復するにはかなりの困難を伴うものといわなければならない。しかしながら、居住地域に変動がなければ、右のような人間的、生活環境の接触は根本的には継続し、部分的に影響を受けるにすぎないのであるから、その間、他の小学校に通学して基本的には同等の内容の教育を受けることができるのであれば、たとい通学条件、教育環境等その他の教育条件が低下することになっても、その不利益は少ないものといってよい。

本件の場合、本件児童は、干溝小学校の廃止及び抗告人らに対する就学指定校変更の通知という一連の措置により、干溝小学校において従前どおりの教育を受けることはできなくなるが、居住地域に変動を来たすことはなく、また教育を受ける機会を一切奪われるというのではなく、代りに小出小学校において教育を受けることができるのであり、しかも、小出小学校における教育内容は、干溝小学校のそれと比較して、基本的には同等以上のものであり得るということができ、また、干溝小学校の教育における前記のような特質ないし良所が失われることになっても、直ちに、小出小学校の教育がその内容において劣り、干溝小学校の教育に代替し又はこれを補完し得ないものということができないことは、前述のとおりである。これによって本件児童が受ける不利益は、多分に主観的又は副次的なものであって、回復困難な損害の有無の判断に当たっては、必ずしも本質的なものではないというべきである。

(4)  右に見たところによれば、教育内容のいわば質的変化というべきものを考慮しても、抗告人らに回復の困難な損害があるということはできない。

4 抗告人らは、本件処分によって干溝小学校の校舎は解体されることになり、これを再建することはきわめて困難であるから、抗告人らはこれにより回復困難な損害を被ることになると主張する。そして、疏明資料によれば、小出町は、昭和六〇年度の同町予算に右校舎の解体費用を計上しており、右校舎を解体した後、その跡地に町民体育館を建築する計画を有していることが認められる。

しかしながら、学校の校舎のような物的施設は、いったん取り壊しても、別の物を建築することが可能であり、他方、学校という公の施設(地方自治法二四四条)ないし公共営造物を構成する最も重要な物的施設である校舎については、学校が廃止されないことになった場合には、予算措置を講じた上直ちに再建されるべきものである。そして、干溝小学校の跡地に体育館が建築された場合であっても、疏明資料によれば、小出町において右跡地付近に敷地を確保して校舎を建築することは可能であることが認められる。

このように、仮に干溝小学校の校舎が解体されることになっても、新たな校舎を建築することは実際上も可能であるとみられるから、右校舎が解体されること自体を損害とみても、これを回復することが困難であるとはいえない。

のみならず、本件児童が干溝小学校でなく小出小学校において教育を受けることにより被るべき不利益ないし損害は、本件廃校及び就学指定校変更の措置によるものであって、校舎が解体されるかどうかとは関りのないものである。仮にこれらの措置が違法であることが裁判上確定した場合には、新しい校舎の建築が完成するまでの間、本件児童は、通学すべき学校の校舎がないことになるから、そのような意味で損害を被るおそれがないとはいえないが、その間もなお、小出小学校の校舎を一時的に利用し、あるいは応急的に簡易な建物を仮設して、教育を実施すること(これは校舎改築の際一般的に生じ得る事態である。)はできるから、これを回復困難な損害に当たるということはできない。

5 以上のとおりであるから、本件申立中、本件就学指定校変更処分の効力の停止を求める部分は、その対象を欠くか、又は回復の困難な損害が生ずることについての疏明がないことに帰するから、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないものというべきである。」

三  右の次第で、本件効力停止の申立を却下した原決定は相当であるから、本件抗告をいずれも棄却することとし、抗告費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 豊島利夫 裁判官 新村正人 赤塚信雄)

<以下省略>

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